調査業のブラックホールと呼ばれる日本

― 調査実務の現場から見た日本の制度課題 ―

はじめに

このところ、性質のまったく違う三つのニュースが、私の中では一本の線でつながって見えています。

一つは、カンボジアの「プリンス・グループ」を率いたとされる陳志(チェン・ジー)をめぐる一連の報道です。米財務省(OFAC)と英FCDOは2025年10月14日、同グループを越境犯罪組織(TCO)として146の個人・団体に制裁を科しました(米財務省プレスリリース)。同日、米ニューヨーク東部地区連邦検事局は陳志をワイヤー詐欺・マネーロンダリング共謀で起訴し、約12万7,271ビットコイン(当時約150億ドル)の民事没収を申し立てています(米司法省プレスリリース)。

▸ 米財務省(2025年10月14日) https://home.treasury.gov/news/press-releases/sb0278

▸ 米司法省・EDNY(2025年10月14日) https://www.justice.gov/usao-edny/pr/chairman-prince-group-indicted-operating-cambodian-forced-labor-scam-compounds-engaged

陳志は2026年1月、カンボジア国籍を剥奪されたうえで中国へ引き渡されました(FRIDAYデジタル。この経緯は米財務省の2026年6月23日付リリースでも確認できます)。

▸ FRIDAYデジタル(2026年1月) https://friday.kodansha.co.jp/article/453102

▸ 米財務省(2026年6月23日・追加制裁) https://home.treasury.gov/news/press-releases/sb0538

そして日本です。同グループ最高幹部の一人とされるフー・シー(胡石/胡小偉、キプロス国籍)は、2026年4月に東京・中央区へ虚偽の住民異動届を提出した疑いで逮捕され、「永住権をとるためだった」と供述したと報じられています(TBS NEWS DIG)。さらに、他人に自身の在留カードを使わせて印鑑登録手続をさせたとして入管難民法違反で再逮捕。2023年には「高度専門職」の在留資格を取得していたことも分かっています(FNNプライムオンライン)。

▸ TBS NEWS DIG(虚偽転入届で逮捕) https://news.yahoo.co.jp/articles/5b54d27b967939363e15922a81cac5eb8f19e479

▸ FNNプライムオンライン(高度専門職・永住計画) https://news.yahoo.co.jp/articles/5deeae326e5cb041dcfa6c5fbc3d2fff215a474e

二つ目は、ウクライナ侵攻後に西側諸国から追放されたロシアの情報要員の一部が、日本を活動拠点として再配置されているという報道です。米紙ニューヨーク・タイムズは2026年7月12日、GRU(ロシア軍参謀本部情報総局)「第20局」の将校がアエロフロート東京事務所で従業員を装い、半導体・工作機械・通信機器などを第三国経由でロシアへ調達していると報じ、日本を「スパイの楽園」と形容しました(日本経済新聞産経新聞)。拠点とされた場所や第20局の実態については集英社オンラインの解説が詳しく、一方で報道の前提を検証する慎重な論考も出ています。

▸ 日本経済新聞(2026年7月13日) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM1333N0T10C26A7000000/

▸ 産経新聞(「スパイの巣窟」報道) https://news.yahoo.co.jp/articles/e8c2ac70fba2f1d8bf030897cb4ae85e7177118c

▸ 集英社オンライン(GRU第20局の実態) https://news.yahoo.co.jp/articles/e1dc2883250138b12bd525a323f16e170f1a5dfc

▸ Seculligence(NYT報道の検証) https://seculligence.com/news/1669/

三つ目は、技能実習生の失踪問題です。出入国在留管理庁の公表統計では、令和6年の失踪者数は6,510人。過去最多だった令和5年から3,000人以上減ったとはいえ、令和元年以降の累計は約4万7,000人にのぼります(出入国在留管理庁「公表情報」)。これは犯罪組織でもスパイでもなく、出稼ぎの東南アジアの若者たちの話です。

▸ 出入国在留管理庁(失踪者数ほか公表情報) https://www.moj.go.jp/isa/applications/titp/nyuukokukanri07_00138.html

まったく別の話に見えますが、共通する土台があります。日本では、人と法人の「実像」を確認する手段が、社会全体として極めて乏しいということです。

私は探偵業・調査業を30年以上やってきました。外国の調査業者に、日本の調査業における情報アクセスの実態を伝えると、日本は調査業のブラックホールだとよくいわれます。「現場の実務はこうなっている」という事実だけは、もう少し知られてもいいのではないかと思っているので、この記事を書きます。

1. 調べたくても、調べる材料がない

日本で民間の調査会社ができることは、想像されているよりもずっと限られています。

商業登記や不動産登記は誰でも取得できます。行政処分の公表、報道記録――こうした「公開情報」を丹念に積み上げれば、それなりの絵は描けます。実際、我々の仕事の大半はこの積み上げです。

一方で、次のような情報にはまず届きません。

  • 住民票・戸籍の職権的な追跡(正当な利益の疎明があっても、範囲は狭く運用は年々厳格化)
  • 個人の与信・債務情報
  • 犯罪歴・逮捕歴の体系的な照会
  • 民事訴訟や刑事訴訟の履歴
  • 行政が保有する居住・就労・医療の記録

デューデリジェンスの依頼において、海外クライアントから「相手方の犯罪歴を調査してほしい」と求められるケースは珍しくありません。しかし、日本には民間が照会できる犯歴データベース自体が存在しないため、単に「取得できない」と伝えるのではなく、「そのような制度そのものが日本には存在しない」という説明から始める必要があります。

犯罪者の更生を促すために犯歴を保護するという趣旨は理解できます。しかし、善良な市民にとって、無犯罪経歴証明書は与信管理における最も重要な身分証明のひとつです。日本政府がこうした視点を十分に考慮していないように思えてなりません。

2. 保護だけを進めれば、誰が得をするのか

個人情報保護法は改正のたびに厳格化の方向に進んでいます。方向性としては世界的な潮流でもあり、理解できます。

問題は、例外規定と、それを運用できる担い手が同時に整備されていないことです。

EUのGDPRにも、米国の各種法制にも、「正当な利益」「公益」「法的請求の行使」といった例外の入口があり、その入口を通れる主体(弁護士、ライセンスを持つ調査会社、コンプライアンス事業者など)が制度上位置づけられています。保護を強めると同時に、正当な調査の通り道も設計されている。

日本は保護だけが強化され、通り道が細るばかりです。その結果、何が起きるか。

  • 不法滞在者は、身分確認の緩い現場に紛れ込めば、まず捕捉されない
  • 反社会的勢力は、他人名義や実体のない法人を挟めば、経歴の断絶を作れる
  • 逃亡者は、住民票を動かさず、緩い賃貸や簡易宿泊施設を渡り歩けば、生活が成立する
  • 外国の情報機関は、そもそも国内に対抗する調査主体が薄いことを知っている

厳格な保護が守っているのは、善良な市民のプライバシーだけではありません。「見つかりたくない人」も、同じ盾の裏側にいます。

国際的な制裁対象者が「高度専門職」という優遇された在留資格を得て、永住権取得まで視野に入れて日本に生活基盤を築こうとしていた――先のプリンス・グループ幹部の事案は、まさにその実例です。この点は、制度の審査の実効性を問う指摘としても取り上げられています(coki「日本が犯罪マネーの『安住の地』に」)。

▸ coki(高度専門職制度の審査の実効性) https://coki.jp/article/column/88896/

技能実習生の失踪がこれだけ長期にわたって高止まりしているのも、根っこは同じです。低スキル・人手不足の現場では、身分証の確認が形骸化している。悪意のない失踪者ですら追えない国で、悪意のある人間を追えるはずがありません。

3. 「探偵業」は公益の担い手として設計されていない

日本の探偵業は、探偵業法に基づく届出制です。許可制でも免許制でもありません。所定の書類を出せば、原則として明日から営業できます。

警視庁の解説は、この点を明快に述べています。探偵業を営むために特別な資格等は必要なく、欠格事由に該当しなければ誰でも営める。そして、届出をしたからといって他の法令で禁止・制限されている行為ができるようになるわけではなく、探偵業務であることを理由に特別な権限が与えられるものでもない――と(警視庁「探偵業法の概要」)。

▸ 警視庁(探偵業法の概要) https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/tetsuzuki/tantei/overview.html

これは業界にとって都合がいい話に見えるかもしれませんが、実際には逆です。参入の質を担保する仕組みがないということは、社会から信頼される前提が制度的に用意されていないということでもあります。

先進国では、私立探偵(PI)はライセンス制であり、試験、実務経験、身元審査、継続教育、保険加入などが求められます。その代わりに、一定の情報照会権限や、法廷での証拠提出者としての地位が実務上認められている。「義務を課す代わりに、役割を与える」という設計です。

日本には、この交換がありません。重要事項説明、教育、名簿管理、差別的調査の禁止といった義務は課されますが(神奈川県警察「探偵業法の概要」)、それに見合う役割は与えられていない。国の側に「調査業を公益のために活用する」という発想がそもそも希薄なのだと思います。

▸ 神奈川県警察(探偵業法の概要と業者の義務) https://www.police.pref.kanagawa.jp/tetsuzuki/eigyokankei/tantei/mesd0091.html

結果として、業界は「怪しい仕事」というイメージから抜け出せず、優秀な人材も入ってこず、実務水準も上がらない。この悪循環を、私はずっと見てきました。

4. 現場では、もう外国の脅威の影に触れている

もう一つ、あまり語られていないことがあります。

日本の探偵業者の大半は、国内の個人向け案件――浮気調査、家出人捜索、素行調査――を主戦場としています。それ自体は正当な仕事です。しかし、調査に必須のデータにアクセスできない 制約の中で、探偵業者は、アナログ的な 尾行・張り込みや人海戦術的な聞き込み等の業務を中心に生計を立てています。しほや 行政制度のフレームワークやデータ アクセスやデータ分析といった地方を中心とする デューデリジェンス的な業務からは締め出されていると言わざるを得ません。更に、日本に入国している外国人を対象とした調査、あるいは在日外国人を対象に日本国外から依頼される調査に、日常的に触れている業者はごく少数です。

我々のように国際案件を主に扱っていると、こういう場面に出くわします。

  • 依頼者が名乗る素性と、依頼の中身が明らかに噛み合わない
  • 対象者が政治的な活動歴を持つ在日外国人で、依頼の目的説明が曖昧
  • 「所在だけ確認してくれればいい」という、目的の見えない所在調査
  • 経由地や仲介者が不自然に多く、最終的な依頼主が見えない

こうした依頼を、我々は受けません。所在情報が誰の手に渡り、その後何が起きるのかを想像できないほど鈍感ではないつもりです。

人権NGOセーフガード・ディフェンダーズは、中国当局の非公式な「海外警察拠点」が世界53か国102か所以上に存在し、日本にも複数あると報告しています(JBpressによる解説)。日本政府も中国側に対し「我が国の主権を侵害するような活動が行われているのであれば断じて認められない」と申し入れていますが、直接取り締まる法律がないため摘発は難しいのが現状だと指摘されています(関西テレビ)。民間調査会社が意図せず他国の情報機関や治安機関の「下請け」になりうるというリスクは、抽象論ではなく実務上の判断課題です。

▸ JBpress(Safeguard Defenders報告の解説) https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/81172

▸ 関西テレビ(中国「秘密警察」と日本政府の申入れ) https://www.ktv.jp/news/feature/230420-2secretpolice/

そして、この判断を日常的に迫られている実務者が、日本にはほとんどいない。だから、この種のリスクが政策や法整備の議論に上がってこない。ここが一番の問題だと私は思っています。

5. 我々は制度設計者ではない、が

冒頭に書いたとおり、私は立法や政策を論じる立場にありません。調査実務を回すエンジニアのようなもので、与えられた法的枠組みの中で、どうやって依頼者の正当な目的を達成するかを考えるのが仕事です。

保護を緩めろと言いたいのではありません。保護を強めるのなら、同時に「正当な調査の通り道」と「その通り道を歩く資格を持つ担い手」を設計してほしい、という話です。入口を全部塞げば安全になるわけではなく、塞がれた入口の裏側で、得をしている悪人たちがいる。

陳志の事案でも、ロシアの情報活動をめぐる報道でも、実習生の失踪でも、問われているのは同じことです。例外規定を欠いたまま情報保護のみを推進すれば、結果としてスパイやテロ活動者、反社会的勢力、不法滞在者を保護することになりかねない、ということです。

本稿は、報道されている事実関係と、筆者が調査実務を通じて得た所感に基づく個人的な見解です。個別の事案・人物について断定的な事実認定を行うものではありません。逮捕・起訴は有罪を意味するものではありません。掲載リンクは2026年7月18日時点で確認したものです。

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